外科医が粘土をすると・・

日本頭蓋顎顔面外科学会の講習会で,久しぶりに粘土教室を開催した.
今回は,アタシが Anatomical Sculptor 解剖彫刻家? として 顔のトポロジーをメインに指導させてもらいました.
そのときの様子を,ある記者の方にまとめて頂きました.以下 お楽しみください.
「FACEs Workshop 2025 」
顎顔面外科医のための造形セミナー
日本頭蓋顎顔面外科学会 第21回学術講習会 報告記

2025年11月22日(土)、東京慈恵会医科大学の一室にて第21回学術講習会「FACEs Workshop 2025」が開催されました。
集まったのは、形成外科や顎顔面外科をはじめとする、医科・歯科の専門領域に携わる約30名の医師たち。沖縄をはじめとする遠方から駆けつけた先生方の姿も見られました。普段は白衣やスクラブを身にまとい、臨床現場で患者に向き合う先生方の手に、この日あったのは、彫刻ツールと粘土。
「いかに自分が人の顔を分かっていなかったか。それを痛感する1日になると思います」
冒頭、講師の菅原康志先生がそう語ると、受講者は真剣なまなざしで聞き入っていました。 ここでは、10年ぶりに復活した第21回学術講習会「FACEs Workshop 2025」、「顎顔面外科医のための造形セミナー」の濃密な一日をレポートします。
【プログラム】
本セミナーは、座学ではなく「手」を動かすことに重きを置いた実践形式で行われました。
| 時間 | 内容・テーマ |
| 09:00 | 開会・オリエンテーション講師挨拶、導入レクチャー |
| 09:15 | 実習①「ウォーミングアップ・観察」持参した野菜(ジャガイモ等)の模刻物の形を360度から捉える |
| 09:30 | 実習②「粗造形」木の土台とアルミホイルで基礎を作るまずは「見たまま」の顔を造形する |
| 10:00 | 実習③「再構築・骨格からのアプローチ」一度作ったものを壊し、骨格を意識して再構築 観察しながら、モデルの顔に近づける |
| 12:00 | Lunch |
| 12:50 | 実習④「細部・陰影の探求」光と影、奥行きの観察表情の作り込み |
| 15:00 | 仕上げ・講評 |
| 15:30 | 閉会 |
§1 粘土に触れてはじめて、「理解していたつもり」に気づく
午前9時。学術委員長・今井啓道先生による挨拶からセミナーが和やかにスタートしました。「本日造形した粘土は持ち帰れますので、途中で捨てて帰らないでくださいね」といった注意喚起に、会場からは穏やかな笑いが起こります。

続いて、Anatomical Sculptor(解剖彫刻家)である講師・菅原康志先生が登壇されました。先生が「最近、粘土を触った人はいますか?」と問いかけると、手を挙げる人はいません。
普段、医師たちはCTの断面像や3D画像を通して、顔面の骨格や軟部組織を細かく確認しています。菅原先生は会場を見渡しながら、「粘土で造形すると、いかに『分かっていなかったか』が分かりますよ」と、朗らかに話されました。
特に美容医療や顔面形成を求める患者様は、ご自身の顔について非常に詳しく勉強されています。プロフェッショナルとして、その知識やこだわりを上回る理解力と技術がなければ、患者様の期待に真の意味で応えることはできません。
和やかな空気の中にも、「専門家としての視点を問い直す一日になる」という、静かな緊張感が漂いはじめました。
§2 実習①「ウォーミングアップ・観察」 360度観察する
9時15分、いよいよ実習のスタートです。しかし、いきなり人の顔を造形するわけではありません。受講者に持参するようアナウンスされていた、ジャガイモなどの野菜を使いウォーミングアップを行います。
「まずは、その野菜の形を作ってみてください。ジャガイモには、正面も側面もありません」。
菅原先生がそう説明すると、受講者は野菜を手に取り、「形」を丁寧に観察します。
普段、医師たちが見ているCTなどの2次元情報と違い、受講者が手にしている立体物には、ここが前、ここが横という明確な境界線がありません。野菜の模刻をするには、あらゆる角度から形を観察し、面ごとのつながりを再現しなければなりません。
この工程が、脳を「3次元モード」に切り替えるための重要なステップとなっているのです。

§3 実習②「粗造形」 全体像を捉える
野菜で「立体を見る目」を温めた後、いよいよ本題の「顔」の造形へと進みます。各々がプリントしてきた「モデル」の顔をもとに、粘土で造形します。
自身の顔、友人、芸能人、歴史上の人物。受講者が持参したモデル写真が壁に貼られ、和やかな空気が流れます。

しかし、いざ作業が始まると、あちこちから「難しい」という呟きが漏れはじめます。
「首が立たない、ストレートネックになってしまう」「人の顔にはなるけれど、モデルの顔にならない」。
単純な野菜とは違い、目や鼻というパーツを追うことに気を取られると、途端に全体のバランスが崩れてしまう。いかに普段、全体的な「形」ではなく「パーツ」で顔を見ていたか、という現実と直面することとなりました。
§4 実習③「再構築・骨格からのアプローチ」 表情の奥にある“構造”を見る

10時を過ぎる頃には、会場から声が消え、粘土を触る音だけが静かに響きます。
受講者が没頭する中、菅原先生から「一度作ったものを、壊して作り直しましょう」というアドバイスが。

せっかく作った顔を崩すことに躊躇する受講者もいますが、ここからが本番です。「骨格をどれだけ知っているかが大切です。それができていれば、顔は破綻しません。まずは、なんとなくの全体像から作りましょう」
表面の皮膚や目鼻立ちだけを真似しても、リアルな顔にはなりません。その奥にある頭蓋骨の輪郭、出っ張りや窪みを大まかに捉えることが、造形の基本となる。だからこそ、「この段階では、性別がわかるような表現にはならないはず」という菅原先生の言葉に、多くの受講者が聞き入っていました。

先生のアドバイス通り、受講者は再び作業に没頭。
学術委員長・今井啓道さんは、スマホのカメラを受講者の粘土に向け「顔認証が通るものと、通らないものがある」とシビアな現実を伝えます。骨格の裏付けがなければ「人間」として認識されないという気づきが生まれました。
§5 実習④「細部・陰影の探求」 影から、“立体”を読み解く

昼食を挟み、午後はさらに細部の表現へと進みます。菅原先生は会場を回りながら、一人ひとりの作品に直接手を入れます。「耳の位置をもう少し高く」「おでこを少し削って」。先生の指が数回動くだけで、粘土の塊に命が宿り、受講者が目指す「モデル」らしい表情が生まれます。

「この眼窩は、深く窪んでいるのか、それとも周りが高いからそう見えるのか。よく観察しましょう」など、造形のヒントとなる視点を授けると、受講者も納得した様子を見せます。
受講者の中には、「ここにヒアルロン酸を入れたら、こういう影ができるのか」と、粘土を触りながら自身の手技を確認する姿も見られました。ほうれい線などの顔の凹凸も、「線」で描くのではなく「影」を観察して捉える。
2次元の知識を、3次元の感覚として指先にインストールし直す時間となりました。
§6 「造形学セミナー」での学びを、明日の医療へ

15時半、セミナーは終了の時間を迎えました。
受講者からは「あっという間だった」「楽しかった」といった感想のほか、「いかに自分が分かっていなかったかが、分かった」「粘土で造形してみると、顔の凹凸が想像以上にあると思った」といった声もあがりました。
最新のデジタル技術も素晴らしいですが、自らの手で形を作り、悩み、修正するプロセスでしか得られない「気づき」がある。そんな手応えを感じられている方々に、菅原先生は「みなさんは、勉強熱心ですね」と笑顔で話していました。
さらに、受講者同士で出来栄えを見せ合う姿も。それぞれの視点や工夫を共有し合う、有意義な時間となりました。
総評
「この人らしい顔にしたい」「自然で、美しい表情を作ってあげたい」
参加された先生方の多くがそう願っているからこそ、こうした学びの場にも時間を割き、試行錯誤を続けています。日本頭蓋顎顔面外科学会には、このように日々の研鑽を惜しまない先生方が数多く在籍しています。
今回のセミナーで培われた「指先の記憶」は、明日からの医療現場で活きる、大きな力となるはずです。

事務局および学術委員の先生方による入念な準備により、実習中心のプログラムはスムーズに進行していました。 今回の講習会を復活へと導いた関係者の方々のお力添えが、参加者にとって有意義な学びの場を形づくったことがうかがえます。
【企画・実行】日本頭蓋顎顔面外科学会 学術委員会
委員長:今井啓道
委員:元村尚嗣、⼩⼭明彦、秋元正宇、常川主裕、⽯⽥勝⼤、森下格
【協力】東京慈恵会医科大学