足りてます
2011年だ。
年始の特番やらお笑いやらを見て、酒を呑んでいた。
真っ昼間から風呂に入り、窓から空を見ていた。
まあ、なんとも贅沢ではないか。
そして、実に世の中は充足しているのではないか、としみじみ思った。
おそらく、20年ほど前くらいから、生きて行くための基本的なインフラは、完成している。
水、食料、衣料、住宅など、ある水準には達しているし、
通信も、移動も十分だろう。
医療レベルも、世界の中でみれば、かなりのものだ。
これ以上、何をどう改善する必要があるのかとも思う。
ものが売れないというが、多くは足りているから、買う必要がないということなんだろう。
高機能の携帯電話など、たいして要らない付加価値が満載だし、
車だって、感心するほどの便利さにあふれている。
コンビニに行けば、いつだって新鮮な食べ物にありつけるし、味だって悪くない。
ファストファッションが提供するセンスと機能も、相当のものだ。
しかし実際、人の欲はとどまるところがない。
足りているにもかかわらず、自分が知らないために、損をしているのではないかという不安を、多くの人が持つようになっている。
だから食べログの星の数をみては、はるばる700円のラーメンや1000円の海鮮丼を食べに遠出する。
楽天の人気食品のランキングが気になって、1位から順にオーダーする。
しかし、おそらく実質的な差はさほどないのではないか。
また味など好みの世界だから、他人の評価の集計が参考になるとは思えない。
人気はNo1だろうが、かならずしも美味しさNo1というわけではない。
おそらくプラトーに達した物欲が、細分化、多様化しただけのことで、本質的な物のニーズは増大していない。
要するに、足りているのだ。
こんなに「足りた世界」でも、人は「ささやかな幸せ」をモノに求めてしまうのだろうか。
それよりも、「いきがい」というような精神活動に深く向かうのだろうか。
そんなことをつらつらと思いながら、湯船につかっていた。
喉が渇いたので、風呂場に持ち込んでいた「こだわりの初摘みトマト」ジュースを一口飲んだ。
やっぱり、違う。
うまい。
しあわせ。
なんだか・・・ねぇ。