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退職

3月31日をもって自治医科大学を退職した。

1998年の9月に赴任したので、16年半在籍したことになる。

ちょっと長く居すぎたかな、とも思う。
3人からスタートした医局だったが、今や7人のスタッフを抱える立派な講座になった。
在任中は、ほんとうに多くの方々の献身的なサポートを頂いた。そのおかげで今の教室があるといっても、過言ではない。こころより感謝している。
今後は、非常勤という立場ではあるが、引き続き外来と手術の一部で、お手伝いさせて頂くことになっている。

任期がまだしばらくあったこともあり、多くの方からどうして辞めるのか聞かれることも多い。また、いろんな憶測が私の耳に入ってくることもあって、やはり少し説明しておいた方がよいのかもしれないと思う。

理由は一つではない。
さまざまな事があって、それが収束したのが、今だったというのが正直なところだ。

まずは、長期在任による組織の硬直化がある。じつは、7年前に教授就任が内定した際、3人の直属の部下を集めて、ささやかな祝宴をした。その席で、「教授就任が決まったよ、来月の1日付けだ。」皆がほっとしたように、おめでとうございますと言ってくれた。私は少し間を置いてから、「えっと・・・で、このユニットは6年後には解散するからね。」と静かに告げた。「・・・」みんな唖然としていたが、いきなりこんな席でいうことじゃないだろ、という感じで苦笑されたのを憶えている。
医療は、今、どんどん専門化が進んで、形成外科のような小さな診療科でも、その道を究め出すと生半可な知識では追いつけない。ウチは専門色を打ち出して走らせつつあったので、おそらく6年もすれば、私が指示することは何もなくなるだろうと思っていた。また自分がそうだったように、仕事上の経験を積んだ大人になれば、誰しも自分で決断し責任を取りたくなる。私がいつまでも居たら、うっとうしい。
組織としての鮮度の保ち方の難しさは、十分知っているので、強制的なメンバーの変更は仕方のないことと思っている。

それから管理職としての仕事が、辛くなってきたことも理由の一つだ。大学教授になると、さまざまな委員会や教授会など、相当数の会議に時間を割かねばならない。必要なこととはいえ、残念ながら自分は好きになれなかった。家人が言うに、会議が多い日の夜はとにかく不機嫌だったらしいから、やっぱり向いていなかったのだろう。

体力と気力の変化もある。まだ衰えたということではないが、5年前の状況に比べても変わって来ていることは否めない。数年もすれば、今のペースの仕事量はこなせなくなるだろう。だとしたら、好きな仕事だけを選択してできる環境を整えておいた方が、きっと長く続けることができると思う。幸いにも、もう少し展開したい方面の仕事もあるので、注力しやすくなる。

そんなわけで退任することにしたのだが、お世話になった方々に辞意を伝えに伺った際には、思いのほか、みなさんが好意的に受け止めて下さって、とてもありがたかった。自分としては、イヤな仕事を辞めて好きなことだけにシフトする、ワガママな管理職、という姿がちょっと重なっていたからだ。そう思われても仕方ないな・・と思っていただけに、本当に感謝している。

これからどうするの、と聞かれるが、まだ決めていない。
当面は、長めの休暇を取らせて頂き、その間にゆっくりと考えてみるつもりにしている。
それでも、やりかけの仕事とか、任せっきりだったウチの事とか、老いた両親の面倒とか、それなりには忙しく暮らすことになりそうである。

おそらく、サバティカル、ギャップイヤーのような感じになるだろうな、とは思っている。

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