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形成外科と美容外科の歴史 アメリカ編

形成外科と美容外科との関わりについては、多面的に捉える必要があるが、現在抱えている問題のいくつかは、社会的な立ち位置に起因することがすくなくない。そのため、それぞれの歴史的背景を知っておくことは有益であろう。

ここでは、アメリカと日本の形成外科・美容外科の歴史についてみてみたい。

アメリカ編

1920年代に形成外科の第一世代が誕生しているが、この背景には、第一次世界大戦がかかわっている。

第一次世界大戦においては、塹壕で顔面をひどく損傷する兵士が後をたたなかった。兵士を送り出した国家の責任と、傷痍軍人の経済的自立という社会的要望が後押しすることにより、形成外科(というよりもむしろ顔面修復再建外科)の活躍するチャンスがもたらされた。
連合軍における再建治療は、フランス、イギリス、アメリカからの外科医が協力して行っていた。もっとも指導的立場にあったのはアメリカではなく、後に英国からナイトの称号を与えられたハロルド・ギリスなど、欧州の外科医だったことは興味深い。
その後、顔面修復再建外科に興味を持ったアメリカからの外科医が、母国で形成外科を立ち上げることになるのだが、それは決して容易ではなかった。理由は、美容外科の存在である。
アメリカにおいては、19世紀後半からすでに一部の医師により、整容を目的とした鼻やシワに対する外科的治療が行われていたのだ。その中には正式な医学教育を受けていない偽医者も多く、合併症が頻発していたし、さらにパラフィン注入によるトラブルなど社会的問題も抱えており、整容目的の治療を行う者はビューティードクターと呼ばれ蔑視される状況にあった。
もちろん再建外科だけを生業にする外科医にとっては、美容外科の存在はなんら関わりのないものであったし、形成外科という新分野に夢を抱いていた外科医の中には、美容外科など排除して、伝統ある再建外科だけを扱うべきだと考える人もいた。
しかし現実をみれば容姿に不満を持った人の数のほうが、先天異常や後天的なケガを負った人より遙かに多いし、戦争のない時代に形成外科を社会に根付かせるためには、それなりの社会的需要がなければならない。また、顔の欠陥に苦しむ人たちが、偽医者の食い物になっているという事実にも目をつむるわけにはいかなかった。

本来の仕事を、自分たちの手に戻さなくてはならない、そのためには、まっとうな外科医が参入する必要があるし、そのことによって状況は好転するだろうと、考えたのも合点がいく。
つまり形成外科として美容外科を取り込むのと同時に、それまでのビューティードクターと差別化し、彼らがさんざんに評判をおとしめた美容外科という領域の信頼の回復を目論んだと思われる。
そうしてまず手始めに、当時すでに地位を確立していた形成外科医であるヴィルレー・ブレアが、アメリカ専門医認定団体の下部組織にあたる ABPS (American Board of Plastic Surgery) を1937年に設立し、形成外科医として必要な資質と能力に対し資格審査を行うことで、形成外科の価値の差別化をはかった。また同時期に、ジャック・マリニャックが発起人のひとりとして、ASPRS: American Society of Plastic and Reconstructive Surgery, 現在のASPS)を設立し、形成外科医の社会的立場の確立を図った。
こうした組織作りにより、次第に形成外科医の立場が確立し、美容外科を含む仕事場が確保されていったのであった。
もっとも美容外科領域への参入は、一部の保守的な形成外科医の抵抗もあり一筋縄では行かなかったが、 心理学、精神医学という新しい学問の概念を導入し、理論武装することで乗り切った。
ちなみに、1932年10月に行われた第一回ASPRSの例会で採択された暫定的な会則によると、会の目的は「先天性ないし後天性の損傷の研究・治療にかかわる医療および外科的調査を促進すること・・・(中略)・・・科学の進歩、形成外科および再建外科の可能性についての情報を医学界に伝えること・・・(中略)・・・そして社会、経済および心理学における形成外科の重要性を世にしらしめること」とある。

つまり、肉体の健康には医療保険があるように、先天性、後天性の障害により心理的な健康が損なわれ、通常の生活ができないとしたらそれは治療の対象になる。社会的、経済的に損失を受けているのであれば、他の疾患に苦しむ患者を診るのと同じくらい真剣になって対処すべきだ、との考えは、美容外科を正当化する根拠になり形成外科が美容外科を行うには、うってつけの理由付けになった。
またアメリカ特有の文化的背景の影響も、少なくない。一つは、老いを否定する文化で、今でいうところのアンチ・エイジングである。誰しも健康で若々しい肉体を欲するが、それを巧みに美容外科に重ね、医療サービスの正当化に成功した。
さらにもう一つが、人種問題である。いわゆるreduction rhinoplasty は、ユダヤ人種に特徴とされる形態からの脱却という側面もあった。アメリカならではの人種による社会的差別から生まれたニーズとでもいうものであろう。
このように、偽医者による不適切な治療状況の改善、社会的な健康を求める患者への外科的なアプローチの有用性を掲げ、美容外科を積極的に取り込むことで、アメリカ国民は形成外科医の存在を知り、そのイメージを固めたのである。美容外科という分野を上手く利用したと言えるが、そこには、保守的な外科医でさえ、キャリアと収入の点から一番美味しいところを持って行かれることに危機感を募らせたという背景があったことも否めない。

 

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