人の機能と口唇裂
久しぶりに、飼い犬と朝、散歩に出た。
ずいぶんと蝉の声が聞こえて、ああ、そういう季節なんだなと、あまりの暑さに夏を忘れていたことを思い出した。
蝉は、6−7年を土の中で、そして7日ほどを大気の中で過ごし、一生を終える。
その人生(一生、ライフ?)を私たちの感覚でどう思うか、などということについて興味はない。
なぜなら、蝉にとってはそれが与えられた生き方であり、それを全うすることがすべてであるからだ。
一方、人はヒトに与えられた機能的な人生以外に、社会的な活動を行う。
そして、こうした活動が、ヒトを人としていることでもある。
(そのおかげで、文化が発達し、戦争も経験したけど)
この活動には、見た目が重要な役割を果たす。
なぜなら、見た目は「社会的機能」であり、コミュニケーションの要だからだ。
口唇裂、口蓋裂という人の疾患の治療の難しさは、そこにある。
機能を獲得することは必要であるが、十分ではない。
ただその治療は一筋縄ではいかない。
天を仰ぎたくなるほど、難しい。
だから、手術をする際には、機能と審美の両立というきれいごとでは済まない覚悟がいる。
両立などという甘い気持ちでのアプローチで、唇裂が解決するとは思わないからだ。完璧な審美再建をするという強い気持ちが要る。
そうでないと、すぐ機能再建といういいわけに逃げ込みたくなる。