99点の標準化
外科医にとって縫合は、古くて新しい問題だ。
未だ、これという真実はわかっていない。
だから、だいたい寄せておけばくっつく、というリベラル派から、よいと思われることはすべて行うというストイック派まで、アプローチはさまざまだ。そして多くの場合、それらはどちらも正しい。
いや、正しいと言うよりも、臨床的には差が無いということだ。
つまり創傷治癒に関しては、一つの真実があり、それに沿った治療がベストであるが、多少それから逸脱したとしてもわれわれの目から見る限りほとんど差はわからない。
この方法とあのやり方では、数時間の違いがあるが、数日も変わらない。だからどちらでも同じ、という解釈になる。
しかし、ある特殊な状況になると、数時間の違いが数日になる。糖尿病など、もともと治癒傾向に問題がある場合だ。
臨床においてはこうした「差」を、適正に評価する必要がある。差がほとんどないと判断すれば、時間の短縮や経済的なことを考えて単純化すべきだし、差が生じる場面ではよりていねいな扱いを心がける。こうした臨機応変な対応が、今の外科医には要求される。
しかし、世の中は標準化の流れにあり、臨機応変は行き当たりばったりでいい加減な対応と捕らえる人も少なく無い。
しかも多くの日本人は、医療の結果に99点を求めている。
こうした状況での標準化は、多くの無駄や過剰な医療の原因となる。
せめて90点で、手を打つ寛容がなければ、医療での標準化は成立しないだろう。