顔と社会 5
5 顔とコミュニティー
栃木はやさしいコミュニティーが多いと感じる。
さまざまな顔のハンディキャップを、すんなり受け入れてくれる。
その背景は、よくわからないが、
大家族の幅広い世代による受け入れと、
適切なサイズの、リアル露出社会のためではないかと思っている。
両親と子どもの距離は近い。
おのずから一生懸命になる。
献身になり、干渉にもなる。
祖父母や、叔父叔母は少し離れた分、一生懸命が薄くなる。
世代の違いも価値観の違いもある。
そうした多様な受け入れをお互いが尊重している。
だから、子どもは居場所を見つけやすい。
辛い時の拠り所があることで、子どもはハンディと共に育ってゆく。
また、家族構成や職業、性格や好みなどをコミュニティーで共有できていれば、
顔の形の向こうが見やすい。
「素」を知ることで誤解も減る。
子どもの活動範囲と家族単位の露出社会が、オーバーラップしていれば、拠り所がさらに広がる。
Facebookやツイッター、ミクシィといった露出コミュニティーが盛んなことを聞くと、
みんな結局は、だいたい知っているという「くくり」を欲しているとしか思えない。
都会の閉鎖が心地よい人がいるのも確かだろうが、
適度な「村社会」が、不完全な私たちを受け入れてくれる箱でもある。