思考停止ワード2
先日の医学生講義では、現代の医療行為について,みんなに考えてもらった。
医療の本質は、患者の幸せであり、言い換えればニーズでもある。
そして、これまでは多くの人に共通する幸せを、提供してきた。
しかし、医療はその技術の発展に伴い
多様な幸せをもたらすことができるようになった。
他人に依存した不妊治療や臓器移植。
美容医療や移植による顔面形態の細工。
ただ、こうしたものに対する人々の思いは、一様ではない。
人類の福音だ、と言う人もいれば、悪魔の所業と言う人もいる。
患者の幸せというが、
その幸せは、単なるエゴや欲ではないかと思うこともある。
「君なら、どーする?」
学生たちに聞いてみる。
「う〜ん、迷っちゃいます。。。自分なら・・う〜ん」
黙り込む。
「えーー、どーするって・・・」
周りの友達を見回し、哀願顔になる。
「オレっすか、うーん、めんどくさいっすね、他の人に聞いてください」
「私は、どっちでも・・
結局、その人の価値観で決めれば、いいと思うから・・」
「僕は、ぜったいイヤです、なんかわかんないケド」
考えるというのは、シンドイ作業ではある。
しかし、様々な物差しを自分の中に育てることができる。
多くの価値を理解し、人を好きになれる。
個性、自由、むかつく、めんどくせー、みんながそうだから
便利な言葉が、逃げ道を作る。
考えるという作業を、停止させる。
「ガチで、考えようぜ」
と、言ったが、どうやらスベったようだった。