口蓋裂学会 札幌
札幌での口蓋裂学会に参加する。
大学に来てから、多くの患者さんの治療に当たることになり、もう15年以上になる。
最初の手術を担当した子どもたちが大きくなり、もう高校を卒業する時期になっている。
学校や社会にでて、新しいコミュニティに関わることになる。
元気で暮らしてくれることを、祈るばかりだ。
口蓋裂の治療には、多くの専門科の知識と技術が必要となる。
しかも、それぞれが有機的に連動しなくてはならない。
そのため、赴任した当初は、その体制作りに、時間を裂いた。
幸い、多くの方のご協力を得ることができ、みんなが幸せになるようなシステムができあがったと思う。
その後は、それぞれの治療の質を高めることに、力を注いだ。
ところが、それは決して容易ではなかった。
新たな手技の習得には、学会参加、手術見学、論文・書物からの学習、指導などの方法がとられる。
これらのうち、学会発表がもっとも簡便に情報を得ることができ、しかも精度も高い。
なぜなら、学会は、経験した知識が多くの医師と共有される場であると、信じていたからだ。
しかし、残念ながらそうではなかった。
いや、とくに口唇口蓋裂の外科治療においては、その情報が閉鎖的であったということだ。
私がこの分野に注力し始める前は、マイクロを使った再建や、頭蓋顎顔面外科が仕事がメインだった。
そこでの学習には、あまり苦労をした覚えがない。
なぜなら多くの情報がオープンであったし、シェアする世界観があったからだと思う。
口唇口蓋裂では、なぜか、そうした雰囲気に乏しい。
競争の場というか、自分たちの施設(あるいは個人)の優位性を、誇示する感じが強い。
「そのやり方では、だめだ。われわれの方法がもっとも優れている。」
「あなたは良くないと言うが、私のスキルをもってすれば、何の問題もない。よい成績が得られる。」
理由はよくわからない。
診療科の相互乗り入れだったり、疾患数の問題であったり、結果の評価が曖昧であったり、職人的なスキルに依存する部分が多かったり・・・といろんなことが考えられるが、はっきりしない。
いずれにしても、正確な情報を得るのに苦労したことは、否めない。
幸い、情報を共有できる同胞と知り合うことができ、また治療を受けた子どもたちが、元気な顔を見せに私の診察室にやってきてくれることで、手技を向上させることができた。
最近は、時代の変遷と共に、先達の多くの経験が収束しつつあると感じている。
技と知識をきちんと繋いでゆくことが、この仕事の本質なのだと、あらためて思う。
その中で、歯車を少しだけでも回すことができたのなら、幸せなのであろう。