国際医療支援
ミャンマーで医療支援を行ってきた。
バンコク経由でヤンゴンに入る。
夜8時を過ぎているせいか、人気が少ない。
空港近くの、広いが湿気った部屋にチェックインする。
左肩が痛む。
前日、遅くまでかかって仕上げた事務仕事のせいなのだろう。
翌早朝、飛行機で1時間ほどのマンダレーに向かい、
そこからさらに車で1時間走った田舎町にある、ワチェ慈善病院に行く。
あらかじめ現地のスタッフが、形成外科関連の患者さんを入院させてくれていたので、
到着早々に手術を始める。
ひどい熱傷瘢痕拘縮から、さまざまな皮膚・皮下腫瘍、
顔面や手足の先天異常など、機能的問題を抱えた患者さんが多い。
全麻ができないので、すべての処置を局麻とケタミンで行わなくてはならない。
ある程度の不自由さは覚悟していたが、
バングラデシュ製のリドカインの効きが、いささか怪しい。
しかもディスポーザブルシリンジが新品にも関わらず、おしりのゴムが緩くて
注射液が逆流してくるので、液量がよくわからない。
インドかタイ経由の糸針がおそろしく切れず、無理に押し込むと折れる。
日本から5ダースほど持ち込んだ針糸で、対応する。
なんの前触れもなく、とつぜん停電する。国内で発電した電力を、
隣国の中国に売っているからだ。長いと数十分続く。
噂は聞いていたので、持参した充電式のヘッドライトで乗り切るが、
ナースが当ててくれる懐中電灯の明かりがありがたい。
病室は15人部屋で、野外に開放されているので、
ゴキブリ、ネズミ、蚊、ヤモリと同居せざるを得ない。
水道の蛇口からは、横を流れる川の水がそのまま出る。
サージカルフィーは無料だが、それ以外の医療費はすべて自己負担で、
患者の多くにとっては決して安い額ではない。
CTを取るには車で1時間走らねばならぬ。
親戚中からお金を集めなくては、支払えない。
これまで経験のない条件のなかで、結果を出さなくてはならなかった。
でも不思議なことに、体とアタマはすぐに馴染んだ。
アウェーの手術を、たくさんしてきたおかげなのかもしれない。
治療のカスタマイズが、すんなりとできる。
優先順位を付ける。
そして、切り捨てる、諦める。
それは、日本における医療水準ではないかもしれない。
でも、今、ここで得られた幸せがあるのだろう。
そのことは治療を受けたミャンマーの患者さんの笑顔が、教えてくれた。
わずか3日のミッションだったが、20名ほどの治療を行った。
あらためて、形成外科のパワーを確認できた旅だった。
また、こうしたミッションを支えてくれる日本人スタッフやミャンマー人スタッフが、
少なくないことも知った。彼らの献身的な態度には、ほんとうに頭の下がる思いだった。
感謝の言葉しか思いつかない。
最終日に少し時間ができたので、巨大な仏塔に寄る。
雨上がりの石床が、裸足に心地よい。
帰りの機内で、肩の痛みがなくなっている気づいた。
宿泊していたお寺でしていた、朝の瞑想のおかげかもしれない。
でも、仏像の後ろで、派手な電飾がピカピカするのは、ちょっと・・なぁ・・