標準化その2
きれい普通といえば、これまでの美容外科と形成外科の関係にも通ずるものがある。
そもそもの今の日本のような状況は、昭和50年に当時の厚生省から形成外科を一般標榜診療科に認可する代わりに、美容外科診療を一切行わないというバーターを行ったことから始まる。
美容外科の診療は、当時すでに開業医によって行われていたが、パラフィン注入などの医療事故が頻発し始めており、一般世論の美容外科に対する印象はいささか胡散臭いものであったことを鑑みれば、この取引は仕方のないことだったかもしれない。(それ以外にも認定医制度をめぐる内部紛争としか思えない若手医師のイデオロギー論争や、開業医の利権闘争が学会の足並みを乱していたようであるし、後に述べる美容外科標榜に関わる裏取引の存在による可能性もある)
しかしそれでも形成外科学会執行部は、形成外科の仕事がある程度認知されるだろう数年後に、再度美容外科を形成外科の傘下におく形での特殊標榜診療科の申請をする予定としていた。ところが、形成外科が認可されたわずか3年後に、一部の開業医が先導する形で作られた学会(十仁系)から一般標榜診療科の申請がなされ、しかもそれがすんなり通ってしまった。
形成外科学会とすれば、大事に育てていた愛娘をどこの馬の骨ともわからない男に、いきなりさらわれてしまったような驚きであっただろう。
52年に美容外科学会(大森系:http://thurly.net/029g)を立ち上げてはいたが、時すでに遅し。こうして形成外科学会は、日本における美容外科診療の質を担保する機能を失うこととなる。また実際、死活問題もからむ開業医の方が、象牙の塔に籠もって学問やら学閥やらで浮世離れした大学のセンセイよりしたたかであるのは自明で、その後の美容外科がたどった状況は、今をみればよくわかる。