橋の下
丹下拳闘クラブは、泪橋の下の掘立て小屋だった。
若い人には、不思議な光景かもしれない。
私の育った昭和30~40年代には、よく見られた景色だ。
社会のセイフティーネットが未発達で、街にはまだまだ、傷痍軍人や不具者の物乞いがたくさんいた。
もちろん橋の下にも、家(小屋)がたくさんあって、コミュニティーもできていた。
そういう時代だった。
当時、この「橋の下」という言葉は、よく使われた。
わがままばかり言ってると「橋の下」の子になっちゃうぞ!
言うこと聞かないと「橋の下」のおじさんのところに、置いて来ちゃうぞ!
あんたは、「橋の下」から拾ってきた子だよ!まったく。
今聞くと、ちょっとこれは・・という気がするが、その頃はなんの違和感もなく、多くの人が使っていた。
日本が戦後、もっと豊かにとむしゃらに働いていた時代。
なにが何でも、「橋の下」には戻りたくない、という強い想いが、こうした階級意識や差別感を自然に生み出していたのだろう。
矢吹丈が次第に力をつけていった「橋の下」という環境。
不良、少年院、山谷、アル中、ボクサー崩れ、孤児・・・といった多くの負の要素。
あしたのジョーがこれほどまで多くの人に読まれ、何回もリメイクされるのは、
実は多くの人が、こうした差別を案外自然に受け入れているからだと考えるのは、私だけだろうか。
差別が好ましくないことは、言うまでもない。
でも、なくならないのであれば、それを暖かく受け入れた方がいいのかもしれない。