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クラニオフェイシャル・サージェリーの魅力3

ある日、あの学会発表を仕組んで下さった H 先生が
「すがわらぁ〜 台湾にうまい先生がいるから、手術見に行こうよ~」
と誘って下さった。

このあたりの経緯は、以前書いたが、少し引用する。

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衝撃だった。
一つは、H先生のカバンに、カメラとパジャマと歯ブラシしか入っていなかったこと。
私は、かつて二泊三日のグアムに、下痢薬もヘアドライヤーもインスタントラーメンも持って行った。
なんだ、海外と言っても、熱海の温泉に行くみたいな気分でも大丈夫なんだということを知った。

もう一つは、美しい手術を目の当たりにしたことだ。
しかも英語を使うとどんどん理解ができる。コミュニケーション・ツールとしての英語のパワーを思い知った。

その夜、淡水川の横のレストランで、Yu-Ray Chen先生に思い切って言ったのが、私が生まれて初めて英語で意志を伝えた言葉だった。

アイ・ヲントゥ・カム・ヒア・アゲイン

陳先生は、まずHere?!(このレストランか?)と冗談を言ったが、緊張していた私はカチカチに固まっていて、リアクションどころでなかった。
そしてYou are welcome! と微笑んで言ってくれ、でも最後に、ボスに聞いて許可を取ってからおいでね、みたいな内容のことを言っていたが、私の頭の中は、もうすぐにでも台湾に来ることしか考えていなかった。

・・・ラッキーなことに、半年後には大学を退職して、台湾ライフをスタートすることができた。
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振り返ってみると、このわずか1日の出来事と、そこに至る緩やかなプロセスが、クラニオフェイシャル・サージャリーを本格的に始めるきっかけだったのかもしれない。

たいした華々しい物語もなく、人に手を引かれてずるずるっという感じで、期待はずれだったのではないだろうか。
でも、今になると多くのことが必然だったように思えるのが不思議だ。

父方に大工や電気工がいたので、ちいさな頃からノミやノコギリ、ペンチ、はんだ、ドライバーなどがおもちゃだった。祖父の仕事道具のノミで、ほぞ穴を掘って叱られたりもした。ノコギリの目立てを手伝ったり、水準器で遊んでいた。絵を描くのも好きだった。怪しい光の暗室でフィルム現像を手伝ったり、レタリングの教則本をまねて、たくさん書いていた。

ドットが繋がる妙を,今頃になってかみしめている。

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